借金大国から黒字大国へ


 調所が斉興とともに断行した薩摩藩の財政改革は、大筋で三つあった。
 その一つは、藩債の返還を二百五十年にわたって行う三都藩債年賦償還法だった。その二は、奄美三島で穫れる黒糖の専売。そして三つめが、大々的な密貿易である。
 これらはすべて重豪からひそかに命じられていたものだが、さらに調所は、重豪の死後に家老になると、一分金や一分銀の偽造もはじめた。
 天保六年になると、調所はかねて計画していたように、借金踏み倒し作戦を開始するのだ。
 二百五十年賦、無利子償還!

 各地で大騒ぎとなったが、孫兵衛はそのことを予期していたかのように、言葉巧みにまくしたてた。
 「たとえ二百五十年賦とはいえ、どうせ戻らんもんが、少しずつでも返ってくるんやさかい、考えてみたら、むしろ得やおまへんか」
 と孫兵衛は説いてまわったというのだから、無茶な話だ。
 大坂では倒産者が続出した。そのため斉興と調所は、参勤交代のとき、大坂を避けて通らねばならなかった。

 かくして十年後、五百万両の借金をすべて清算、そのうえ百五十万両もの準備金を作り出したというのだから、まさに驚異というほかはない。薩摩藩は借金大国から、黒字大国へと変身していた。
 この改革を調所一人でやれたわけでもない。武家社会はとかく門閥にとらわれがちだが、若い有能な下級武士を、調所はどしどしおのれのブレーンに採用していった。町人も武士にとりたてた。財政再建という一つの大きな目的に向かって調所は邁進していった。