日本の近代化に貢献


 皮肉な事跡は、そのほかにも少なくない。
 維新の立て役者となった西郷隆盛大久保利通が調所笑左衛門にいだいた憎しみは大きかった。お由羅騷動で切腹させられた赤山靭負の介錯をしたのは、西郷の父吉兵衛だったが、隆盛はのちのちまで血に染まった靱負の肌着を大切に保管していた。
 大久保利通の父次郎右衛門は、調所から沖ノ島に流され、そのため利通は苦しい青春時代を過ごさねばならなかった。
 維新の元勲と讃えられる西郷隆盛大久保利通の生誕地には、現在立派な石碑が建てられているが、調所の業績を示す記念碑は見当たらない。
 ただ一つ、大久保利通の誕生地からおよそ一キロばかり北へ行った道ばたに「調所広郷邸跡」と書かれた一メートル足らずの小さな石柱が建っているだけである。

 しかし、日本の近代化に貢献した人物を薩摩から選ぶとするならば、島津重豪と調所広郷の二人ではなかろうか。
 鹿児島市内を流れる甲突川には、かって五つの見事なアーチ形の石橋が架かっていた。調所が肥後八代から招いた石工岩永三五郎に大金を投じて造らせたものだが、それもいまはない。
 調所の遺した足跡とともに、重豪の事跡も日に日に遠くなってゆく。

 江戸から遠く離れた薩摩は、保守的な土地柄とみなされてきたが、鎖国下の日本にあって、琉球を窓口として南に開けた進歩的な藩でもあった。
 その代表的な人物を重豪とするならば、調所はそれをかげで支えた人物ということになろうか。
 文明開化の明治維新は、島津重豪と調所広郷のような相反する人物によって実現を見たと言っても過言ではなかろう。