はじめに


 西郷隆盛や大久保利通らを排出し、明治維新の原動力となった薩摩藩。しかし西郷や大久保らの影で、その薩摩藩が維新の主役となりうるだけの財政基盤を作り上げながらも憎まれ役となって不遇の死を遂げた者がいた。調所笑左衛門広郷である。

 古くから、薩摩のお殿様は英傑揃いであったと言い伝えられてきた。薩摩に馬鹿殿なしともいわれたほどで、なかでも島津家第二十六代重豪は、英明闊達な藩主としてその名を知られた。
 しかし重豪は、問題の多い藩主でもあった。
 財政難の薩摩藩を、さらに火の車へと拍車をかけたからだ。

 その業績は賛否両論で、いまなお重豪の人間としての是非が問われるところだが、茶坊主あがりの調所笑左衛門広郷を登用した財政改革で、薩摩藩は借金地獄から這いあがり、そのうえ莫大な蓄財までもやってのけた。その金が明治維新の原動力になったことを思うとき、重豪という男は、いったいいかなる藩主であったのか、その足跡をたどってみることにしたい。